Polyhedron

フットボールと天鳳と、時々アンダーグラウンド。

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溜まったツケを払うとき

またしても、と言うべきだろう。
タイトル戦の決勝で優勝の可能性がなくなった、
いわゆる「目無し」の打ち方についての問題が起きた。

SNSでも盛んに議論されているけれど
自分の思考を整理がてら、少し触れてみる。

1:行為そのものの是非について

目が無くなった時点でオールツモ切りをするというのが
今回問題になっている目無しプレイヤーの取った選択だが
この妥当性について考えてみる。

結論から先に言えば
目的や動機において理解はするけれど
手段については妥当性を欠くと考える。
興行を無視してプロは存在し得ないからだ。

SNSなどでのファンの反応を見ても
これを是とするか非とするかは完全に二分している。

非とするファンを納得させられるだけでなく
その方が望ましいのだという説得力のある意見は
今のところないのではないだろうか。

前述のように、その意図、目的は理解できる。
対局における影響を意思ではなくランダムに委ねるというのは
どのみち誰かには有利になり誰かには不利になるという
麻雀のゲーム性に由来しているものだろう。

どうせ影響が出るのなら、意思を介在させまいということだ。

しかしながら、この「ゲームへの影響」を考えるときには
必ずそこにはその影響の大小を比較しなければならないはずだ。

A:どうせ影響が出るとしても極力小さくなるように努めるべきだ
B:どうせ影響が出るなら大きくても小さくても知ったことではない

興行としてどちらを選択すべきなのかという視点抜きで
この問題の結論を下してはならないわけで
プレイヤーの摸打の自由に制限があっても仕方がないと個人的には考える。

また、仮にオールツモ切りを認めるとしても
そこにはクリアしないといけない手順があるはずだ。

そのプレイヤーに優勝の目がなくなったというのが
本当に全員に共通した認識になっているのかどうか、
それは誰がいつどのように確認するのか、
そのときに必要とされる所作、合図は必要なのか否か、
そういったことをきちんと事前に決めておかないと

「実際にはまだ目があるのに、突然延々とツモ切りをしだした」
「実際にはもう目がないのに、本人はまだ目があると思っていた一方で
周りは目がないことを知っていた時に、たまたまツモ切りがずっと続いた」

こういった状況で無用の錯誤が生まれる。
これは事前に解消しておくべきことだろうけれど
そういったことはされていなかったと思う。

2:目無しプレイヤーの取るべき行動について

今回の件で、当該プレイヤーは
自分が選択した行為について謝罪し、
所属団体の長も同様に謝罪したが
処分はそれにとどまらず、
多くの大会への参加を許されないことになった。

行為の妥当性にも関わることだが、
そもそもなぜ単騎駆けのような行為になったのか。

目無し問題ははるか昔から存在する問題だ。
それに対する解決策、コンセンサスを形成することなく
その場の独断で決めたかのような顛末である。

行為の後にすぐに謝罪するくらいなら
なぜあらかじめもっと議論を深めておかないのか。
時間がなかったということはあるまい。

行為自体には賛否両論あるはずだ。
競技としての純粋性だけでなく、興行としての側面からも
反対意見があるのは明らかだろうと思う。
それを比較考量してなおそうすべきだと思ったのであれば
逆に簡単に謝罪するような話ではなくなるはずだ。

少なくとも当該行為の前に、所属団体内部で
全体のコンセンサスを得ていなければおかしいと思う。
明文化しておくことが望ましいのはいうまでもない。

競技プロとしての存在意義を問われかねない
それくらい重大な行為だと思うし、
それならその行為をする前にやっておくべきことがあったはずだ。

この点について、例えばRMUは
新決勝方式という解決策を提示した。
これもまだまだ改善の余地はあるかもしれないが
少なくとも団体としての解決策はまずはひとつ提示した形だ。

プロ連盟にはコンセンサスらしきものがあるように見える。
どういうコンセンサスかというと

「摸打の妥当性につき理事(幹部)による審査、審判がある」

という点についてのコンセンサスだ。
別に皮肉でもなんでもない。

要するに彼らは、目無しの時にどう打つべきかについて
不文律のようなものを持っていて
それに沿っているかどうかを”上の人”が判断する。

所属員はその不文律について理解を深めるべく
”上の人”に日ごろから指導を請うべきものであり
それこそが彼らの考える「プロの自覚」である。

(審査する”上の人”自身が対局者となった時に
自分が用いてきた審査基準に拘束されるべきかどうか、というのが
かつて紛糾した「目無しのピンフのみリーチ」の論点の一つだけれど
ここではそれは論じない)

こう考えてくると当該プレイヤーの下した結論は
拙速というか稚拙なものであるように思うし
それは反省しなければならない点だろうけれど
同時に、所属団体の幹部も
負うべき責任があるのではないかと考える。

監督責任、運営責任というか
決めておくべきことを決めるのを怠っているからだ。
決めておけることを怠ってきたからだ。

3:処分について

もしこれが協会上層部からの停止処分であれば
これははっきり妥当性を欠くと考える。
当該行為が不適切だったとしても
行為と処分のバランスを著しく欠いている。

謝罪して早急な規定作成を図ります、
くらいなら十分妥当性を認められるけれど
行為時点で規定されていなかったものを
遡及処罰するようなことはあってはならない。

しかしながら、本人の意思として
出場を辞退するという形を採っているのであれば
これは本人の意思でしか撤回できないし
おそらくそれはしないだろう。

稚拙さ、拙速さの責任を痛感して
しばらく謹慎しますと本人が言っているのに
周りがそれを撤回しろと強要することはできない。

この点につき、他団体からの圧力があったという情報もあるが
これは不確定な情報なので論点には含めない。
あったのならばそれは不適切なものだとは思うけれど
一方で、興行のパートナーとして評価を下すのは当然でもあり
不正確な論評は控えるべきだろう。

結局のところ、麻雀プロ団体は
自らが放置してきた問題によって
いつまでも揉め事を繰り返しているということになる。

これは目無し問題だけでなく
刑法や風営法との関わりなどの問題も同じだけれど
そういう根本的な問題を放置して
普及などはありえないというのはこの機会に強く指摘しておきたい。

前回の目無し問題が紛糾してからでさえ
既に数年が経過していることを競技プロは恥じるべきだ。

4:最後に

こういった問題を解決するに際して
各団体のトップもしくは幹部による議論というのが必要なのではないか。

麻雀業界には現在、大きなスポンサーがいる。
そのスポンサー自身がどう考えているのかは不明だけれど
業界として発展させられなければ
スポンサードの効果は低いだろう。

その意味でも、有識者も交えた討論会の開催を望む。
可能ならば、各団体の上に位置する
コミッショナー的な存在を作れればなおいい。

結局のところ、麻雀業界以外の世界に対応していくには
(それがロビー活動であれ何であれ)
ちまちました個々の団体単独では難しいだろうからだ。

まぁそれは絵空事というか夢物語で
実現はしないだろうけれど
団体内部の利害から離れた人だけで作る業界統括組織があると
こういった揉め事は減るのではないだろうか。


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麻雀の未来(長い)

麻雀プロ団体日本一決定戦というイベントがあった。

麻雀プロ団体日本一決定戦公式ページ

団体戦というのは、アニメの「咲」もそうだけど、
個人対戦が原則である麻雀というゲームに
別の楽しみ方を与えてくれる。

各団体のファン、としての楽しみ方が出てくる。
より感情移入しやすいといってもいいかもしれない。

結果としてはプロ連盟の完勝だった。
麻雀の強者はオーラスに強い、などとよく言うけれど
最終日に勝ち切るという点においては
他の団体を大きく上回っていたわけで
これは賞賛されていいと思う。

堀内プロ除名事件など、
何かと批判されることの多かった団体だけれど
短期戦とはいえ、この結果はそれなりに重い。

もちろんこれがすべての評価になるわけではない。
まるで他の団体には存在価値がないかのような論調も
一部には見受けられたが
それもまた極論というか暴論だろうと思う。

麻雀メディア関係者までもがそういう論調だったのには
実を言うとかなり辟易した。

「他団体の麻雀プロで本当に麻雀強くなりたいって思う人なら、
この結果を見て連盟に移籍しようって普通考えると思うけどね。
これからプロになりたいと思う人ならなおさら。
それだけの屈辱だったことをいい加減考えるべきですよ。」

こういう発言があったんだけど
いやいやちょっと待て、と正直思う。

麻雀というゲームの性質上、
短期戦ではいろんな紛れが起こるというのは当然なわけで
そういう意味で麻雀の楽しみ方というのは多角的なんだよというのを
麻雀ファンに認知してもらうのが
麻雀メディアの仕事だと思うのだけれど。

だってそんなこと言ったら
プロ連盟vs天鳳位対抗戦において
プロ連盟の勝又健志さんはブービーで
プレーオフにも出られなかったわけだけれど
その結果を以って

「勝又は強くなりたいなら
Nonameに混じって一般卓から天鳳で勉強して来い」

なんて言えちゃうわけでしょ?

あるいは今回のプロ連盟と天鳳位の対抗戦で
天鳳位が勝ったら

「プロ連盟は全員天鳳始めろ」

って言えちゃうんでしょ?

でもそんなこと言う人は
僕の周りの天鳳クラスタにはいなかった。

むしろ負けたけどこの勝又ってプロは強いなって
観戦していてそういう印象を持った人の方が
天鳳クラスタの中には多かったんじゃないだろうか。

それは連盟が好きとか嫌いとかではなくて
麻雀の愛好家としての楽しみ方が
単なる結果だけでどうこういうのではなく
過程をきちんと見ることも大事というコンセンサスがあるということと
この戦いに出ているプレイヤーに対する
同じゲームの愛好者としての敬意ではないかと思う。

麻雀メディアだってそんなこと言ってるけど、
かつてはプロ否定宣言まで出しておいて
今度は連盟ageかよってどうしたって思う。

ただ、その一方で
プロ連盟と他の団体に明確な差を感じることも多い。

プレイヤーの層の厚みみたいなものもそうだ。

今回プロ連盟は
重鎮クラスが出てくることはなかった。
打ち盛りのプレイヤーをきちんと選考して、そして勝った。

僕は最高位戦の金子さんが大好きだから
金子さんの対局を久々に見られて嬉しかったのだけれど
重鎮たる金子さんを出さないとだめなのかとは思った。

もっとはっきり言ってしまうと
RMUなどに至っては
選抜という作業がなされたのかどうかすら微妙だと思う。
看板選手を上から順に並べただけなのではないか。

一番新しく一番意欲的であるはずのRMUのシステムが
降格のない認定システムという硬直化しやすいものであるのも
人材不足に拍車をかけているように思う。
そのシステムで新陳代謝がスムーズに行くとは思えないから。

連盟を脱退してから10年、
果たして満足いく組織は出来たのかと
巷間に問われてもいたし方あるまい。

これは何も競技者に限った話ではない。

インターネット麻雀選手権というイベントを
プロ連盟は2年ほど前から開催している。

これ自体もなかなか意欲的なイベントだと思うが
それが今ひとつ盛り上がりに欠けているとなると
今度はずばりと天鳳位との対抗戦を企画してきた。

正直、このイベントには舌を巻いた。

連盟はロン2という自前のネット麻雀サイトを持ち
麻雀格闘倶楽部というアーケードゲームで
通信対戦も行っている。

その組織が他のインターネット麻雀サイトに
対抗戦を持ちかけてきたのだ。

企画、折衝、運営といった面で
他の団体とは完全に比べ物にならないだろう。
そこにマンパワーを割けるというのが
プロ連盟の強みなのだろう。

そういう企画や運営面での人材の発掘や育成が
他の競技団体はたぶん圧倒的に不足している。

例えばRMUであれば
もともと天鳳との親和性が高い印象があったし
天鳳名人戦にも選手が出ているわけだから
そういう団体が対抗戦を企画しても良かったはずだ。
(まして河野高志さんというヒール役もいるのだ。
いくらでも盛り上げようはあったと思う)

そういった組織運営への本気度という点で
他団体はもう少し危機感を持たねばなるまい。
これについては件のメディア関係者の指摘通りだろう。

「麻雀界をみんなで盛り上げることと、
麻雀が強くなることは別なんですよ。
一致団結大いに結構。
じゃあ、他団体の選手が連盟さんと統一すればいい、となる。
それが一番手っ取り早いから。
別団体として活動してるなら、それだけの理由を示してくれないと。
何のためにその団体はあるんですか?」


「麻雀ファン」というものを大きく分類した時、

1・フリー雀荘でリアル麻雀を楽しむ人
2・競技麻雀を楽しむ人
3・健康麻雀を楽しむ人
4・ネット麻雀を楽しむ人

と分かれていて、
それぞれが少しずつ重なっている感じだろう。
ひょっとしたらどの楽しみ方も行ける、
という人もいるかもしれないが
例えばネット麻雀しかしないという人ももちろんいるだろう。

麻雀の世界の広がりというものを考えた時に
それぞれが相反するのではなく
親和することが大事だと個人的にはずっと思っている。

ネット麻雀もリアルの麻雀も打ちます、
だけでなく、ネット麻雀も競技もフリーも打ちます、
健康麻雀もやります、
という人がどんどん出てくれば
必然的に麻雀の世界は盛り上がっていくだろう。

今回の日本一決定戦の運営であるAbemaTVは
アメブロでおなじみのamebaの会社だけれど
amebaの藤田社長が麻雀好きであることが
開催の動機になっている部分は大きいだろう。

藤田さんがどういうビジョンでやっておられるのか
もちろん僕には窺い知ることはできないのだけれど
麻雀プロの世界、ではなく
麻雀の世界、のことを考えているのであれば
単に麻雀プロ団体の日本一決定戦ではなくて
天鳳チームが出られる可能性もあるのではと
ちょっと期待したりもする。

日本一決定戦の最下位団体は
翌年は入れ替え戦から戦うことにして
麻将連合や他の競技団体と出場枠を争う形にするとかなら
天鳳チームが出場してもいいんじゃないかなと。

麻雀はプロとアマチュアの技量的な差があまりないゲームだし
競技、という点について言えば
天鳳の鳳凰卓は十分競技的だと思うから。

あるいは各団体が天鳳の強豪プレイヤーをスカウトしたりして
自軍の戦力を拡大する方向でもいいかもしれない。
もちろんそうなってくると
所属のメリットをもっと開示しないといけないけれど
それは別にその団体にとって不都合ではない(はずだ)。

いずれにしても、昨今の藤田さんの麻雀の世界へのコミットは
麻雀の世界にとっては黒船襲来に近い。
各団体の幹部は危機感と期待感の両方を
強く感じているだろうと想像する。

本当に大きな機会だと思うから、
業界の統一とかフリー雀荘の法的位置づけとか
そういうところまで進める意気込みで
運営に当たって欲しいなと期待している。

とても面白いイベントで
最後まで楽しめた。

次回以降も強く期待しています。

個人的メモ

昨日の件で、少し補足というか別の話。
論点がいろいろある話なので
個人的に整理しておきたいというのもある。

レートの有無や高低で全員が足並みを揃えられない時に
そのギャップを埋めるためのものが差し馬だと思っているので
それ自体は仕方がないんじゃないかと思っている。
カイジの17歩とか天の二人麻雀をやる方が良かったんだろうけれど。

ただし、店側と同卓者はそうはいかないので
福地先生はその辺には注意しなければならなかった立場だと思う。

ギャンブルは自分の責任で行う大人の遊びだと僕は思っているんだけど
法律的な話はまた別の話で
麻雀について言えば、同卓者は賭博の幇助に問われる可能性が高い。
麻雀の対局の結果によって差し馬をしている人が財物の得喪を争うわけだから
麻雀の対局を成立させる行為が幇助に当たるわけだ。

となると、プロなどが入るのはちょっと具合が悪いし
入るなら差し馬の件などは大々的には言うべきではない。

(レートが乗っていたら当然幇助ではなくて正犯なんだけど
それはチョコレートと書いてあったような気がする。
もちろん実際の実行行為は確認できなかった)

店が具合が悪いのは言うまでもないだろう。

公言した時点で周りを巻き込む形になっている以上
福地さんは叩かれても仕方がない。
この点について、通報されてもおかしくないからだ。

もちろん賭博をすることそのものを批判する人もいるだろう。

1・賭博をすることそのものやそれを公言することについての議論
2・賭博行為が当事者間で完結していると誤認して周りを巻き込んだことについての議論

この2点は少し異なる論点だ。

更に言えば、プロが幇助に該当するかどうか分からなかったとすれば
それ自体も批判されるべきだろうとも思う。

3・関連法規について競技プロが無知あるいは無関心であったことについての議論

上記に加えて、不正者に対してどう対応すべきかという論点がある。

4・ネットでもリアルでも不正者に関わるべきではないのかという議論
5・不正者に関わることが不正を助長するかという議論
6・不正者に関わることが天鳳のコミュニティ文化を変質させるかという議論

また、これらの論点の前提として

A・不正であったかどうか
B・運営の制裁や対応は適切だったか
C・不正の常習者には累犯加重のような制裁が必要なのか

も論点としてはあるだろう。

これらの論点それぞれにそれぞれの意見が出てくるから
議論が混乱するんだろうなと思ってみている。

もちろん他にも論点はあるのかもしれないので
気づいた時点で付記していくつもり。

でも論文試験に出されたら時間内に書けないねこれ。

昇降

まだ僕が若かった頃、
ほんの少しだけ競技麻雀をかじったことがある。

当時はまだプロ連盟は出来て間もない頃で
(たぶん7期か8期にしかなっていなかったはずだ)
競技麻雀の世界の中心は最高位戦だった。

必然的に最高位戦に所属しているプロに
いろいろ教わったり、あるいは観戦したりして
僕は競技麻雀に触れていくことになった。

その最高位戦のプロの中に
最高位戦のルールとは違うルールで打つ人たちがいた。

最高位戦の当時のルールは
まだ一発も裏ドラもない、今で言うところのクラシックルールだったけれど
それをさらに地味にしたルールで打っているということだった。

何しろ素点が関係ないというのだ。

「トップなら1昇、ラスならマイナス1降、2、3着はプラマイ0、それだけだよ」

そのルールを教えてくれたプロは
僕にそう説明してくれた。
そしてそこで打つプロたちが集う場に
僕を連れて行ってくれた。

それが僕と101の出会いだった。

「いやーついてないよ、
4回打って4回しかトップ取れないんだもん」

今でこそわりと陳腐な煽り文句になったかもしれないけど
僕がその台詞を初めて聞いたのもその場だった。

「謳いの西田」

なんて異名が付いていたプレイヤーだったけれど
どう反応していいか、当時の僕にはまるで思いつかず
曖昧に笑うことしか出来なかったことを覚えている。

ただ、このルール、
おそろしく息苦しいものだった。

何しろリーチがまずかからない。
ノーテン罰符がないから、
行けそうにないと思ったらみんなガンガン降りる。
文字通り鉄壁だ。

ノーテン罰符が無いということは
流局時に手牌を公開するという作業が無いということだ。
(リーチをかけていても聴牌を証明する必要も無い)

となるとリーチのメリットが下がることになる。
一発も裏もないから
足止めリーチというものの効力がほとんど無くなる。

役無しカンチャンで押すことも頻繁にある。
リーチをかけているつもりで押すわけだが
他家も当然それに対応していくことになる。

なんというか、巷のフリー麻雀とまるで違う麻雀がそこにあった。

当時の僕は、その辺のことを十分には理解し切れず
あまりコミットせずにやがて離れていってしまうことになるのだけれど
今は少しだけ、そのルールの面白さが分かる。

素点が関係なく、ラスだけが失うものがある、という点で
天鳳という順位戦に近い部分がかなりあるからだ。

ここに、一冊の本がある。
表題を「神眼の麻雀」という。

この本の著者である成岡という人を
僕はもちろん知らない。
ネット上では多少知っているけれど
それはここでは触れない。

書評には関係が無いから。

似たような側面を持つ鳳凰卓東風速卓というゲームにおいて
僕はできるだけシステマチックに打つことを目指している。
それは速卓という条件が出てくる場においては
半ば必然であると言ってもいいだろう。

読みに時間をかけてリソースを割くことよりも
一つ一つのシステム的な判断の精度や錬度を上げることに
時間やリソースを割くしかないからだ。

成岡は違う。

僕がコミットできなかった101順位戦に
成岡はコミットし続けた。
そしてその場において
見えないものを見ようとすることに
伏せられている山を牌を感じ取ることに、心血を注いできた。

この本には成岡のその、感じ取ろうとする精神の過程が書かれている。

論理でそれを読み解くことは難しいだろう。
だからどれだけそれを読んだところで
読者が何か具体的な論理を身につけることは出来まい。

技術論が書かれた本ではないからだ。

かといって、オカルト本でもない。
おそらく成岡は、システマチックに打てる部分を
かなり残したプレイヤーであるはずだ。
打とうと思えばいくらでもロジックに基づいて打てるだろう。

武道家が型の鍛錬を重ねて様々な型を体得したとして
その型通りに戦うのか、
あるいはその型を超えたところにある極意を目指すのか、
そんな感じを持ってもらえばいいのではないだろうか。

成岡は僕よりも少し年下だから
もしかしたら、25年前に交わっていたかもしれない。
101ルールで対戦し、対局の後に言葉を交わすことがあったかもしれない。

ほんのちょっとしたタイミングの違いで
交わらないままになってしまった打ち手の思考を
今僕は一冊の本で知ることが出来る。

ただの一度も打ったことの無い相手だけれど
彼が心血を注いだ対象を、僕は少しだけ、知っている。

昇ったり降りたりをただただ積み重ねてきたという意味で
天鳳の段位戦を打ち続けてきたプレイヤーに対するのと同じような共感を
成岡に抱くこともできるだろう。

論理とは程遠い、その情緒的な意味合いにおいてのみ
僕はこの本を推すことにする。

光あるところ

最近、とあるカジノの
オープン前の準備段階に少しだけ関わった。
いや、関わったというほどでもなく、
ちょっと詳しい話を聞いた程度、
と言った方がいいかもしれない。

その成り行きでその準備中の店に一度だけ、行った。
真新しいラシャの張られたテーブルと
顔が映るくらい眩しい鏡面仕上げの椅子。

店内ではディーラーの研修として、
若い女の子たちが
まだ少し覚束ない手つきでカードとチップを扱っていた。

簡単に挨拶を済ませ、店の片隅に座る。
半ば無意識に
テーブルの中にセットしてあるチップに手が伸びる。

カジノの現場を離れてもうずいぶん経つ。
ディーラーではなくなってからを考えると、
それはもう20年近く経ったことになるけれど
掌の中のチップの扱い方を、僕の指はまだ覚えていて
ごく自然にディーラーとしての動きを繰り返す。

研修中の女の子たちにアドバイス的なことをしかけて
講師役の邪魔になるだけであることに気づき、口をつぐみ
当たり障りのない世間話だけ口にする。

もちろん彼女たちは、
アングラの世界の住人になろうとしているわけではなく、
健全なゲームとしてのカジノの世界、
を見ようとして応募してきたはずだ。

かつてのバカラ一辺倒のハウスではなく
むしろ対人ゲームとしてのスキルを競うポーカーが
そのカジノのメインゲームだ。

当然のことながら、アングラカジノが流行る前に
パンデミックのごとく全国に出来たゲーム喫茶のように
ビッグやスモールを当てるダブルアップボタンも無い。

訊けば、ネットゲームの要素を取り入れて
やり込みRPGとしての展開を考えているらしい。
つまりオンラインが先で、リアルが後、という発想になる。

麻雀もそうだけれど
財物を賭すことは
カジノゲームとしての面白さの一部分に過ぎない。

特にポーカーのようなスキル介入の大きなゲームは
そのスキルの巧拙を競うだけで十分面白い。
結果に付随してくる賞品は
財物としての価値が無くても構わないのだ。

がしかし、その一方で
財物、それも自分にとって
大きな価値がある財物が
賭けられていればいるほど、
人は、痺れる。

それもまた真理だ。
その痺れが、人を吸い寄せ狂気を孕ませる。

その狂気を、欲望の直射を、
ディーラーや店の黒服は浴び続ける。
それは強烈な力を持つだけでなく、
時に暴力的でさえある。

それに耐えられなくなった者は文字通り病む。
発狂するわけではないけれど
どこかしら歪んだ感性、
曲がった価値観を持つようになる。

あるいは僕もそうなのだろう。

だからというわけではないけれど、彼女たちの中に
そちらに吸い寄せられていく者がいないといいなと
少し、心配になる。

「あのね、僕も最初は君たちと同じように
光の当たる舞台だけ見るつもりだったんだよ」

なんてことは
さっき顔を合わせたばかりの彼女たちには言えずに
飲み込んで帰ってきたのだけれど。

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プロフィール

omoteura

Author:omoteura
天鳳で日夜遊ぶ柏レイソルサポーター。

天鳳(鳳凰卓東風戦)の段位は現在八段。

tenhou_prof_20100117.jpg

アングラ小説はリンクから。
Twitter=@foolishowl0425

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