Polyhedron

フットボールと天鳳と、時々アンダーグラウンド。

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AIというロマン

昨年のことだったか、
AI麻雀「爆打」が七段になったときに出た
どこかの記事を読んで
僕はちょっとした違和感を覚えた。

たしかこんな表現だったと思う。

「麻雀においてプロレベルとされる天鳳の七段になったAI」

今読んでもやはり違和感がある。
もう少し踏み込んで言うなら、
麻雀についてよく知らない人向けの記事とすると
これは明らかにミスリードを招く表現だ。

・天鳳の七段になることは七段の実力を保証するのか

→七段になるだけでは成績のぶれの域を出ない。
安定段位という指標にしたところで絶対のものではないし
麻雀というゲームの性質上、段位が実力を正確に示すものではないことは
麻雀の実力を語る上で絶対に踏まえるべき事実だ。

・爆打は七段の実力があると言えるのか

→爆打は当時、安定段位にして六段前後だったと思うが、
実際かなり長い間七段から五段の間を往復していたわけで
七段の実力が当時あったとは言えないと思う。

・麻雀のプロレベルの実力とはどの程度の実力を示すのか

→将棋で言えば、プロレベルといえば
アマチュアには全く歯が立たないレベルだ。
トップレベルのアマチュアであっても
プロの一番下の層が相手でさえ、ハンデなしで戦えば5割勝てない。
(それも元奨励会のようなプロ養成機関に所属していた人ばかりだ)

麻雀のプロレベルと言った場合に、それが
プロのトップと同じレベルなのか、平均なのか
あるいは一番下の層なのかが曖昧である上に
そもそも実力評価自体が難しいものだ。

AIの実力を論じるときに用いる物差しとして
プロレベルという表現は妥当ではないだけでなく、
将棋プロとアマの間にあるような絶対的実力差があるかのような
誤解を生みかねないと思う。

・天鳳の七段はプロレベルの実力と言えるのか
→麻雀プロの実力を正確に判断するのは不可能だけれど
トッププロが七段程度には留まらないことは
おそらく衆目の一致するところだろう。

平均的なプロ(これも微妙な表現だが)であっても
七段に到達するのはそれほど難しくないと思う。
平均以下のプロでようやくちょっと大変なんじゃないかという印象だ。

従って、まるで目盛りの正確でない物差しで曲面を計測するかのような
そんなもどかしさを感じざるを得ない。

何よりも、これらについて一切考察することなく
単に七段になった事実だけをもって
あたかも将棋のAIと同列のような形で論じたその記事には
率直に言って不満があった。

(実を言うと記事が出た当時に
その違和感について書こうと思ったのだけれど
Twitterで展開されていた当該記事に対しての論評は
論点が定まらないままに情緒的な誹謗に流れてしまい
それに加わるような形の記事を上げるのがためらわれて
Twitterでちょろっと触れる程度だけで終わってしまった)

あれから1年ちょっとが経過した。

AIの世界において1年というスパンは
実力の向上に十分すぎる時間のようで
将棋のAIでは1年前のソフトは
最新ソフトにまったく歯が立たない。

爆打はどうかといえば
六段そこそこだった安定段位は
直近1000戦で八段を超えている。

1000戦というのは実力を判断する指標としては
いささか短期に属する範囲だが
直近2000戦に広げても七段を超えているから
やはりこれは実力を向上させていると考えてもいいと思う。

となると今度は

「麻雀のAIはいつ人間を明確に凌駕するのか」

というところに関心が移る。

将棋はその閉鎖性故か、AIが人間を凌駕するかしないかの
いわば興行として一番美味しい部分を逃してしまった感がある。

渡辺明竜王がAI”ボナンザ”と対戦して勝ったところから
今年佐藤天彦名人がAI”Ponanza”に完敗したところまで
途中の過程に見ごたえのあるドラマがもっとあったはずなのだけれど
それを逃してしまったがために(少し遅れてしまったがために)
明らかに凌駕されてから対戦し、
結果的にプロ棋士が恥をかくようなドラマしか生めなかった。

麻雀はそうならないでほしいという意見は多い。
僕自身もそれはとても思う。

がしかし、それは天鳳という一企業のインフラを使わないといけないのか、
という問題も同じくらい重要な問題だろうと思う。

ネット麻雀だろうとリアル麻雀だろうと
自分は人間相手の心理ゲームとしての側面を麻雀に求める、
というプレイヤーにとって、AIはエイリアンそのものだ。

感情も疲労も動揺もなく、
ひたすら同じ精度で打ち続けるAIに
異物としての抵抗感を覚える人がいても
それは全く不思議ではないし、否定されるべきものでもない。

そして、天鳳は営利企業として
そういった人からも課金をしてもらって運営されている。

AIに門戸を開放するということは
そういった層を切り捨てることに等しいわけで
それに見合うだけのメリットが天鳳にあるかどうかは
極めて大きな問題であるはずだ。

それは天鳳の経営の話であって
末端ユーザーには関係ないというものでもない。
人が離れていって卓稼動が落ちた場合
ネット麻雀は「手軽に打てる」という大きな売りを失う。

Twitterで行われていたアンケートでは
25%くらいが反対だという結果だったけれど
実際に門戸が開放された場合
その25%のさらに何割かが離れるリスクは確実に存在する。

そのリスクと、例えばAIによる麻雀の真理の究明のようなメリットは
果たして天鳳にとって釣り合うものなのだろうかとやはり思う。

麻雀というゲームの性質上、対人要素が常にあるわけだから
AIの進化にとって対戦相手のレベルが上がることが必要だ、
というのは僕にも理解できる。

けれど単にAIが進化していくところだけにロマンを感じても
企業としての旨味がなければ実現はさせられまい。

将棋の場合はスポンサーをつけて、
プロ棋士の集合体である公益法人が協力したことで
いささか遅れたにせよ実現したわけだが
麻雀にそれを敷衍するなら
それは競技プロ団体が本来協力して行うべきことではないか。

少なくとも文化的な側面で考えるならそうなると思う。

競技プロ団体の現状を見て、それが無理だと判断し
天鳳にそれを期待するのは分からないではないけれど、
対戦相手のレベルを上げたいだけなら
鳳凰卓と同一条件の個室を作成し、AIはそこに常駐する、
対戦してくれたプレイヤーには成績や打数に応じて謝礼を支払う、
という形でもいいはずだ。

そういった話が全く出てこないまま
ただ強くなったから鳳凰卓で打たせろ、というのは
少し乱暴すぎる意見だろうと思う。

AIの研究開発が意義のあるものなら
そのコストをまかなってくれるスポンサーや公的支援を探す、
というのはアカデミックな世界でも当然のように求められているものだ。

天鳳というインフラを無償でいつでも使えると
AI開発者が思っているとしたらそれは了見違いだろう。
まして全員が課金している鳳凰卓なら尚更だ。

麻雀というゲームを文化として見て
その真理の究明や発展に寄与したいという部分と
天鳳を麻雀というゲームを遊べるインフラとして見て
決して少なくない課金ユーザーの意向を無視できない企業論理の部分。

この二つを比較衡量して
どこかにうまい落としどころを見つけらればいいなと
今のところ、それだけは思っている。


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Author:omoteura
天鳳で日夜遊ぶ柏レイソルサポーター。

天鳳(鳳凰卓東風戦)の段位は現在八段。

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アングラ小説はリンクから。
Twitter=@foolishowl0425

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