Polyhedron

フットボールと天鳳と、時々アンダーグラウンド。

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照らし出すものは

十段戦最終日の観戦記がようやくアップされた。

書かれているのは前原雄大プロ。
連盟の重鎮というか看板プロの一人だ。

対局や対外活動、あるいは後進の指導で多忙だと思うけれど
かなりの分量の文章を書かれている。

そのこと自体には率直に敬服はする。
苦労して、大変な思いをして書かれたんだろうと思う。

がしかし、文章自体の評価は別だ。

僕にとっては、知りたいことは何も書かれていなかった。

前原プロはこう書いている。
(以下「」内は改行を加えた上で引用)

「どういう戦いであっても、可能性が果てしなく薄くなった打ち手にとって、
舞台の幕の降ろし方、仕舞い方は難しいし、人それぞれである。
将棋の様に、相対のゲームであれば投了を宣言した瞬間に対局は終わる。
他人から見てどれだけ勝ち筋が残されていようと、対局者が決める事である。」

そしてさらに目の無くなった三戸プロ、森山プロの対局姿勢について
こう言及している。

「三戸は今局が示すように、全局に渡り今半荘アガリに向かった局が存在しない。
これは、三戸の十段戦での投了のかたちである。」

「だからといって、三戸の投了を否定するものでもないし、
在り方としては場を汚したくないと思う心は美しいとさえ思う。」

「一方、森山は15巡目にリーチを打っている。
これはこれで戦い方として美しいと思う。
森山は対局者に、そして麻雀に対して誠実であろうとしている表れだからである。」

実を言うと、この考え方に
僕としては全面的に賛同する。

打ち手は打ち手個人の価値観に従って打てばいい。
暗黙の了解といった言葉で、打ち手に何かを強制してはいけない。
強制したければ明文化すればいいのだ。

僕が知りたいのはそういうことじゃない。

森山プロの今までの言動との不一致に触れていないのは何故なのか。
何故森山プロは今までの自分の言動を覆したのか。

それを知りたいのだ。

別に答えは何だっていい。

堀内が嫌いだ、でもいいし
疲れたから終わらせたかったでもいい。
自分が目無しの立場になってみて考え方が変わった、でもいい。

プロの競技者として純粋であろうとするなら
自分のスタンスの変化については
言葉を尽くして説明してもいいのではないか。

今までそれで散々いろんな打ち手に強制してきたではないか。
幾多の打ち手が、森山プロの考え方に沿わずに叱責されただろう。

森山プロにはその変化について説明する責任があるはずだ。

それに焦点を当てることなく、
耳障りの良い言葉でお茶を濁しても
ファンは納得することは無いだろう。

肝心なことから逃げて
当たり障りの無い提灯記事を書いたところで
誰の胸にも響くことは無い。

自由の女神は、右手に松明を掲げているが
そこにはこんな言葉が記されている。

我に、汝らが疲れし者たちを与えよ、貧しき者たちを与えよ
自由の風に飢え渇き、身を寄せ合う群衆を与えよ
岸にあふるる塵の如き、みすぼらしき者たちを我に与えよ
この家もなき、嵐に捨ておかれし者たちを我に送れ
我、この黄金の扉の傍らにて、我が松明を掲げん!


開拓者たちにとって、アメリカ大陸の大地は
自由と可能性の象徴であり
彼らにとって大海を超えてアメリカ大陸に到達することが
まさに自由の女神が松明で照らす黄金の扉を開くことだった。


前原プロがこの記事で掲げたその提灯で照らすものは何だったのだろうか。
それは、前原プロが指導する後進が
その後を追いかけられるようなものなのだろうか。



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Author:omoteura
天鳳で日夜遊ぶ柏レイソルサポーター。

天鳳(鳳凰卓東風戦)の段位は現在八段。

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